情報ネットワーク社会の展開

これを読みました。

ちなみにこの本は1990年の発行。つまりもう16年も前(初出はだからもっと前)、つまりバブル全盛期を超えて破裂する直前。
だから、日本やシリコンバレーの状況について語る部分、特にリゾート開発に関するところなんて、「いやぁ、時代だね」という読み方になるのだけれど、この時、いやそれ以前のネットワーク組織論の時からすでに提示していることの中に、「現在進行形の事象じゃん」と思わざるを得ないものが多々ある。
そこから、以下のようなことを想起したので今日はとりあえずメモ。

そのような不確実性ないし不安定性に挑戦していくゆくには、組織全体に多様性を持たせ、情報の獲得の仕方に多元性をもたせなければならない。つまり、組織のそれぞれのところに、みずから情報を集め、みずから問題を解決し、状況を切り開いてゆく能力を持たせることが望ましくなる。一言で言えば、それは脱コントロールの方向となる。

つまり、組織のフラット化と意思決定の分散化の必要性なんぞ、このころから言われていたのですね。
「企業の境界をこえたプロセス共有」なんてこともすでに言及していて、フューチャー・オブ・ワーク (Harvard business school press)ファンキービジネスなんかが出るよりも遥かに前にそんなことは喝破されているんだな。

その製品を革新するには、細分にまでとことん分解していってそれぞれの内容を改良するか、統合のやり方を変えるかのいずれかである。そのような分解と統合のプロセスを組み替えることによってイノベーションは遂行されるのであり、したがって「連続的な革新」の下では組織やネットワークもたえず組みかえられる。

ただ単に権限を分散させるだけでなく、構築した体制・ネットワークの組み換えがたえず行われることが前提なのだから、体制・組織を前提とした設計をされた情報システムなど構築した瞬間からすぐに使い物にならなくなっていくわけだ。

少しばかり違いのある車、少しばかり異なるテレビやパソコン、DC=デザイン・キャラクターブランドといったところでほんの些細な際にこだわって売られるアパレル――そういった種類の差異を作り出すことがいったいなぜ知識の生産なのかと。確かに論争的な点であり、この小さな差異をどう考えるかが、現代の競争を評価する差異の争点でもある。

些細な差異が知識であり、それが経済を生む。例として挙げられている財にDCブランドなんていういかにも80年代末期バブルの香りは残っているが、しかし現在の経済・マーケティングにおいても全くそのまま当てはめることは可能だろう。情報で差別化できなければそれはもはやコモディティ経済だ。DELLのようにロジスティクスで差別するより他ない。